おかげさまで80周年を迎えました

ハリウコミュニケーションズ株式会社はこの10月をもちまして、創業80周年を迎えました。創業以来八十年、企業として存続し、発展することができたことは、ひとえにお得意様、お取引先、関係官庁、金融機関、業界の諸先輩方、そして事業を最前線で支えてくれた役員・社員の皆さんのお蔭であると、心から感謝申し上げる次第です。

当社は、昭和11年に初代社長である針生孝三が仙台市柳町で製本業として開業しましたが、昭和20年の仙台空襲で米軍の爆撃により社屋が焼失。その後、戦後の混乱期に中杉山通りで再スタートを切りました。昭和23年には市内花京院に新工場を新築し、翌年には法人化も果たしました。

昭和38年に事業拡張のため小田原(現小松島)工場を新築移転。それからほどなく、昭和41年には、更に飛躍を遂げるべく、六丁の目の印刷団地に移ったのです。印刷団地に移ってからは、総ての面で刷新に取り組んで参りました。これまでの会社の歴史や技術の進展を踏まえながら、時代の変化に合わせて着実な成長を遂げたのであります。

当社では、年を追うごとに合理化と改善が進められました。その象徴たる出来事が「活字」から「コンピュータ化」への流れと、「受注体質」から「創注への取り組み」を始めたことでしょう。この十年を振り返っただけでも、実に目まぐるしく変化してきました。

企業の寿命は一説によると、創業して5年の生存率は全体の2割程度で、さらに次の5年間で生き残った2割の企業の中の8割は消えていくのが実態だそうです。つまり、100社生まれて、10年で4、5社しか残らない。企業が長年にわたって生き残っていく難しさがこの数字から読み取れます。一方で、京都には千年企業が3社あるそうです。企業が生き残るというのは、相当な努力が必要です。

活版印刷技術が発明されたのは15世紀、グーテンベルグによって発明されました。ルネサンスの三大発明のひとつです。以降、印刷技術は人類の発展に寄与してきました。文化・経済・教育など、印刷がなければ成り立たないのです。これは印刷人としての誇りであります。

当社は100周年へ向けて新たなスタートを切りました。印刷会社としての誇りを持ち、社会に役立つオンリーワンの会社づくりを目指して努力を重ねていく所存です。今後ともより一層のご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。